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主宰

田中 新(Tanaka, Shin)

幼少より母の影響でフラが当たり前にある環境に育つ。
エッカードカレッジ(フロリダ・米)にて4年間国際関係学を専攻後,ハワイ大学マノア校大学院にて文化人類学を専攻。ハワイと日本の文化を研究し帰国。カラニ・ポオマイヘアラニ氏にフラの基本を教わる。以後、故ジョージ・ナオペに本格的にフラを教わり、2003年、生前彼の右腕として全幅の信頼を寄せたクムフラ(フラ指導者)エトア・ロペスに師事。
Hālau Hula Onaona ʻO Ka Maileに所属しアラカイ(インストラクター)として活躍。2006年、2009年、2012年とフラの発表会の枠を超えた舞台の脚本・演出も担当。2013年、Hālau Hula Onaona ʻO Ka Maileをウニキ(卒業)し、自身のハーラウを立ち上げる。2013年ハワイ島ヒロにて行われた第50回メリーモナークフラフェスティバルにおいて、Hālau Nā Pua ʻUi O Hawaiʻiのホオパア(ドラム)として日本人初の大役を務めた。フラのみならず、生花でのレイメイク、楽器作り、ハワイ語や歴史など、ハワイ文化全般に精通している。
注)ロースカツの食べ過ぎに注意。

主な個人経歴

2003年 カラニ・ポオマイヘアラニ氏30周年ホイケ出演
2004年 モキハナフェスティバル日本大会 個人総合優勝
2004年 カウアイ島モキハナフェスティバル 個人総合優勝
2004年 日本文化資料館 開館式典 日本人初ゲスト出演
2005年 第2回CAカネフラフェスティバル 日本人初ゲスト出演
2006年 第3回CAカネフラフェスティバル 個人総合優勝
2007年 ハワイ島カネソロフラフェスティバル 個人総合準優勝
2007年 八丈島カネフラフェスティバル 個人総合優勝
2013年 第50回MMF 日本人初のホオパアとして出場

アラカイ(インストラクター)として

2006年 第11回Na Hula O Kamaile 第2部舞台演出
2007年 八丈島カネフラフェスティバル グループ総合優勝
2009年 第12回Na Hula O Kamaile 第2部舞台演出
2011年 ホオラウレアジャパン 男子グループ現代フラ部門優勝
2012年 ホオラウレアジャパン 男子グループ部門総合優勝
2012年 第13回Na Hula O Kamaile 第2部舞台演出


Adviser(アドバイザー)

Etua Lopes (エトア・ロペス)/Hālau Nā Pua ʻUi O Hawaiʻi


1978年、ハワイの人間国宝故ジョージ・ナオペからウニキ(卒業)を受けた初めての生徒である。以後ジョージ・ナオペの指示のもと、イオラニ・ルアヒネ、ロカリア・モンゴメリー、ヘンリー・パーら数多くのフラ・マスターに師事し、その実力を認められる。
その後現在に至るまでの25年間ハワイ島カイルア・コナにあるフリヘエ・パレス(宮殿)のキュレーターとして文化の存続をハワイ州より任命されている。そのフリヘエ・パレスを拠点とし、30年間フラ・ハーラウとしてハワイ文化の継承に注いでいる。メリー・モナーク・フラ・フェスティバル創始から数年間、代表グループとして参加。以来数多くの競技会にて受賞歴を持ち、審査員としての評価も名高い。

特徴:味噌ラーメンに目がない。

Originator(家元)

George Lanakilakeikiahialiʻi Naʻope
(ジョージ・ラナキラケイキアヒアリイ・ナオペ)

1928年2月25日―2009年10月26日


1928年ハワイのオアフ島カリヒ生まれ。ハワイ島ヒロに移住し、3歳で曾祖母メアリ・マリアプカオカラニ・ナオペにフラを教わる。10歳でオアフに転居。学校を出るとホノルルに移り、フラ学校を開設。 60年ハワイ州より「ハワイの人間国宝」の称号を与えられる。1963年ヒロのイベントとして、世界最大のフラフェスティバル「メリー・モナーク・フェスティバル」を立ち上げる。1976年子供達の大会「リリウオカラニ・ケイキ・フラフェスティバル」を企画。60年以上に渡ってハワイはもとより日本や北米、ヨーロッパなどでフラを教えた。2006年、アメリカでの最高栄誉でもある国家重要無形文化財に認定された。
現代の「フラの神様」と呼ばれ、古典フラの研究家でもあった。

追記:日本酒とわさび豆が大好物だった。。。

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